こんにちは、いなほです!
歩くことはストレス解消や健康にも良いらしいことや、歴史が好きなことから、
新しい趣味として史跡巡りを始めました。
大して専門知識はないので、ゆるい散歩記録だと思って読んでみてください。
初回は神奈川県横浜市旭区です!神奈川県横浜市が地元なので、まずはここから^^
※御朱印巡りではないので、神社仏閣というより、庚申塔や石碑などの史跡が中心です。
1.散策スポット:神奈川県横浜市旭区
どこに何があり、どのルートで進めばいいのかを考えるのが大変なので…
- メイン:旭区の公式HPにあった散策ルート
- 一部:Googleマップで見つけたところ
を散策スポットとしました。
以下、地図①とします。
以下、地図②とします。
以下、地図③とします。
以下、地図④とします。
公式サイトにあったこの4つの地図を参考にしました。
横浜市旭区:旭区散策ガイドブック「新・あさひ散歩」発売! 横浜市旭区
こんな丁寧な地図を公式が用意してくれるとは、ありがたや。
今回の記事では、地図①と地図②のルートを元にしています。
次回は地図③、地図④のルート中心です。
2.鶴ヶ峰駅〜畠山重忠ゆかりの地〜二俣川駅
地図①
■ルート
地図①:1.鶴ヶ峰駅~5.矢畑・越し巻き
↓
今宿神名社・本立寺
↓
地図①:6.すずり石水跡~9.駕籠塚
↓
鶴ヶ峰駅
↓(相鉄線に乗車)
二俣川駅
鎌倉時代初期の武将、畠山重忠公が戦死した地であり、彼ゆかりの史跡がほとんどでした。
地図①:1.鶴ヶ峰駅にて下車して、駐輪場を左に曲がり、広めの歩道を歩きました。
ちょうど歩道の曲がり角にこれが。2.鎧の渡し緑道じゃないの?と思ったら…
少し歩いた先に、3.首塚を発見。畠山重忠公の首が祀られていました。
大通りに出てきて、少し歩いたところにあった4.重忠公碑・さかさ矢竹は、歩行者が多くて写真が撮りづらく、撮れませんでした… そこが重忠公が戦死したところだそうで、「畠山重忠 終焉の地」と書かれていました。
すぐお隣に、無事、2.「鎧の渡し」緑道を発見しました。なお、”緑道”は今歩いてきた遊歩道の意味だそう。
そのまま真っすぐ歩いていき、5.矢畑・越し巻きへ。「このあたりのはずだけどなー」と周辺をウロウロしていたら、ようやくこの柱を見つけました。
ここで地図①から逸れ、Googleマップや地図③に載っていた、今宿神名社・本立寺へ。
地図③
道中に歴史的な建物を発見。コーンがあったので立ち入らず写真のみ。後で調べたら、「長屋門」として旭区HPに載っていました。
ひたすら歩いていくと、ようやく目印を発見。この角を右へ。
お参り後、社の左に慰霊碑が。
「筑波(つくば)」「麿(まろ)」なら読めた…
すぐ今宿神名社を発見。写真はありませんが、本立寺はすぐ右隣。
鳥居か何かが壊れた?跡のようです。
神社入口あたりに「大震災記念」とある石碑。
慰霊碑も恐らく関東大震災に対するものでしょう。
今宿神名社の石碑を眺めて、長居してしまいました。ふたたび歩きます。住宅街の細道をすり抜けていきました。
6.すずり石水跡。住宅街の中にポツンとあり、どこにあるのかすぐに分からなかった。
薬王寺のある角を曲がって、道なりに行き、途中を曲がって坂を登ると8.鶴ヶ峰神社と9.駕籠塚のあるエリアへ。中々の上り坂でした。
8.鶴ヶ峰神社の鳥居までの道がすぐ見つからず、9.駕籠塚が先に見つかりました。 駕籠塚がある道の脇にある、細い道から入って、ようやく鶴ヶ峰神社を見つけました。
坂を下っていくと、左手に7.薬王寺・六ツ塚が。薬王寺の敷地内に入らずとも、六ツ塚とその説明文が置かれていました。 戦死した重忠公の主従が葬られたとのこと。
左「(この上にも字っぽいのがあるけど読めない)史跡四十後佳選當(とう)選記念」 中「畠山重忠公戰歿(せんぼつ)之地」 右「横濱貿易新報社」 と書いてあるはず。
こちらは、9.駕籠塚。重忠公の妻が葬られています。
駕籠で移動の途中、重忠公の戦死を知り、自害したそうです…だから駕籠塚なのですね。
ここら一帯が戦場になったようで、あちこちにゆかりの史跡がありました。六ツ塚の説明文にもあるように、徳のある武将であり慕われていた証拠とも考えられます。
来た道を途中まで戻り、住宅街を下っていくと、先ほどの3.首塚や4..重忠公碑・さかさ矢竹の近くまで出られました。
駅まで戻り、相鉄線に乗って、お隣の二俣川駅へ行きました。
3.二俣川駅〜方面の神社〜鶴ヶ峰駅
地図②
■ルート
地図②19.二俣川駅
↓
畠山重忠公遺烈碑
↓
切割神名社
↓
地図②:18.三佛時~6.馬頭観音
↓
鶴ヶ峰駅
二俣川駅を降りて、Googleマップで見つけた畠山重忠公遺烈碑まで歩きました。登り坂だったのと、ここまでも結構歩いたので、足にきました(^^;
遺烈碑の横にお地蔵様(畠山地蔵尊)も立っていました。
石碑に文字が彫ってあり、150年以上前のものでも読むことができました。
漢文で読めない(^^;
旭区HPによれば、1892年に建立されたそうです。重忠公がいかに武将の鑑であったか、詳しく説明されています。
道案内用?でいいのでしょうか。「戸塚道」と彫ってある石碑が遺烈碑の近くにありました。
来た道を少し戻って、住宅街・南本宿公園の方面へ歩いていきます。
Googleマップや地図①~④以外の旭区地図で見つけた、切割神名社を目指しました。
こちらが切割神名社。イチョウの木がでっかい!太陽の反射でなんかいい感じの写真に…?
神名社を通過後、「神社」とGoogleマップにあったので、行ってみると、住宅街の隅っこに小さなお社が。 雑草伸び放題になっておらず、手入れされている印象でした。
ここからまたかなり歩きました。神名社があった住宅街をどんどん下って行き、平地まで降りてきました。地図②のルートへ復帰し、18.三佛寺に向かいました。
三佛寺。とんでもない階段があり、境内は覗いていません。
線路を渡り、17.宮沢学舎跡を目指しましたが見つからず。 16.神奈川坂神名社へ。狭い道を歩いていくと、正面に鳥居が見えてきました。
歩いていくと、12.六十六部供養地蔵が左手に。お地蔵様の右側に「六十六部」と彫られていました。これもそうですが、この後見ていくお地蔵様や観音様も江戸時代中期頃のものが殆どですね。
すぐ近くに、11.相州道、10.西岸寺跡もあるはずだったのですが、見つからず通過。民家も多く、知らないうちに不法侵入していたらイヤなので、むやみに探さなかったです。
このあたりを江戸時代治めていた宅間家のお墓があるそうです。
神名社を過ぎ、小学校の横を通ると、正面に16.神奈川坂の柱を発見。ちょうど歩いてきたあたりが、昔の人々の休憩地点だったようです。柱から右手がものすごい上り坂で、それを登っていきました…! 登りきると、セブンイレブンがあり、左に曲がって、今度は下っていきます。ちょうどセブンイレブンの辺りが13.座頭ころばしなのですが、特に看板らしきものも見つかりませんでした。
さらに真っ直ぐ歩いていくと、9.三反田稲荷神社を発見。8.聖徳太子像は神社の敷地内にありました。
三反田稲荷神社の入口です。敷地はさほど広くなく、ひっそりたたずむ神社という感じでした。
聖徳太子像です。建築の神様として造られた像だそうなので、持っているのは金槌か何かでしょうか?
境内にて、聖徳太子像や庚申塔の説明が詳しくかかれていました✨
看板の説明から察するに、この辺りの村に住んでいた人たちが作ったようです。坂を下ってきて、ちょうどこの辺りは平地だったので、村人たちの田畑がたくさんあったのかな。
1本目の角を左に曲がり、7.椚谷公園が右手、6.馬頭観音が右手にありました。
柱があると本当に分かりやすい。
菩薩像はなく、お名前が彫られた石だけでした。 キレイなお花が生けられていました。当日誰かが生けたのでしょうか。大切にされていますね。
足がさすがに疲れてきたのと、鶴ヶ峰駅の近くまで来ていたのもあり、地図②ルートはここで終了。
行かなかった3.嶋崎金子稲荷のタブの木、4.禅道庵跡、5.御嶽神社も、この地域の主に江戸時代の人々の信仰を感じられそうなスポットのようですね。ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。
4.終わりに
今回は、旭区散策・前半の記事でした。
観光客が来ないような、小規模なスポットや石碑・説明文しかないところでも、
そこに歴史があるってだけで、足を運んでしまいました。
歴史好きの性なのでしょうか。
とはいえ、道中ほぼ歩きで、なかなかの距離を歩きました。これだけの距離を歩くのはもはや狂気的な気もする笑笑
次回は、旭区散策・後半(地図③④がメイン)の記事です!
ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでもお役に立てましたら幸いです^^